熊本県に宮本武蔵のお墓がある!
2023/03/08
こんにちは。くようのコトナラです。
ドラマや映画、ゲームやアニメなどメディアの媒体を問わず、偉人ブームが沸き起こっていますね。
そのうちのひとり、宮本武蔵は天下無双の剣豪と呼ばれています。
巌流島における佐々木小次郎との決闘が有名です。
彼は人生のほとんどを剣とともに生き、全国各地を渡り歩いた剣術家として名を馳せています。
そんな剣豪、宮本武蔵が眠るお墓が熊本県にあります。
どうして? と思われる方も多いかと思います。
いったいなぜ熊本県にお墓があるのでしょうか。
宮本武蔵は戦国時代の末期から、江戸時代の初期にかけてを生きた人物です。
剣豪としての伝説がさまざまある中で、生涯負けなしだったことは有名でしょうか。
円明流や、そこから発展させた二天一流の開祖としても知られていますが、剣術家以外にも兵法家、芸術家としての一面も持っていました。
兵法の極意を記した五輪書(地・水・火・風・空の五巻)や、重要文化財に指定されている枯木鳴鵙図などの優れた書画が残されています。
天下無双と称された剣豪としてだけではなく、画人としてもすぐれた才能を持った宮本武蔵。
二刀流の剣豪、宮本武蔵はその晩年を熊本で過ごしました。
肥後熊本藩の初代藩主である細川忠利に客分として招かれ、熊本城東部に隣接する千葉城に屋敷が与えられていました。
当時、高い身分の者にしか許されていなかった鷹狩りを許されるなど、破格の待遇で迎え入れられていたそうです。
細川忠利が亡くなった後も二代目藩主である細川光尚によって、同様の待遇が与えられ続けました。
熊本で過ごす中で、金峰山の霊巌洞(れいがんどう)にて五輪書を完成させ、画や工芸などの芸術に時間を費やします。
剣豪としてさまざまな相手と試合し、全国各地を渡り歩いた宮本武蔵は、その余生を熊本で静かに暮らしていたのです。
宮本武蔵は遺言を遺しています。
その内容は躯を葬る際に甲冑を着せてほしいということと、参勤交代が見える街道に葬ってほしいという内容でした。
これは細川忠利・細川光尚への深い忠義から、死してなお、参勤交代の行列を見守り続けるためといわれています。
実際に宮本武蔵が亡くなった際、籠手や脛当てなどの武具を帯びた武装姿で葬られました。
そして当時、参勤交代の主要道として行き交っていた大津街道沿いにお墓が建てられたのです。
以後廃止になるまで、参勤交代の行列が宮本武蔵のお墓の前を行き来した回数は100回を超えるといわれています。
宮本武蔵が亡くなる直前、細川光尚は参勤交代のため、総勢2700人を超える大行列で江戸に向かいました。
これは細川藩における史上最大規模といわれています。
宮本武蔵は細川光尚が帰る前に亡くなってしまいますが、一行が帰路につく際、生前の願い通りにお墓から行列を見守ることができたのではないでしょうか。
このような経緯から、宮本武蔵のお墓は熊本に建てられました。
熊本県の武蔵塚公園(通称を武蔵塚)に墓石があります。
園内には二刀を携えた宮本武蔵の像が建てられており、今まで多くの人々を出迎えてきました。
熊本県以外にお住まいの方も、熊本県に足を運ぶことがあればぜひ一度お立ち寄りください。
武蔵塚公園は日本庭園や茶室などの趣のあるつくりになっていて、憩いの空間として地元の方をはじめ県外からの旅行客にも親しまれています。
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